名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

2020年名大祭レビュー記事 後編

前編の続きです。 

 

『4:34』

作者:成見沢助六

出版社:畳毎出版

 

①AIの欲しい度:☆☆☆☆

②世界観の独創性:☆☆

③ミステリーとしての評価:☆☆

 

世界観とあらすじ:

 今より少し未来の世界であり、人工知能分野の研究は遙かに進んでいる。人工知能が各産業分野に進出し、それ受け多くの者がより良い人工知能開発を計画している。もちろんすべての分野が人工知能に乗っ取られた訳ではないが、人工知能進出を面白くないものだと捉えている団体や人間も多く、そういった者たちは人間の接客などを求めるため人間の生み出す産業の需要が廃れた訳では決してない。主人公も代替が難しいとされる産業の一部門を担う者である。それほど多くの仕事がある訳ではなかったが、そんな彼に一つの謎が舞い込む。曰く、人工知能「うぃるるん」の自殺。さらに依頼者は、自ら命を絶った人工知能自身であった。謎を解くうちに主人公は人工知能の奇妙な在り方について否応にも考えさせられる。

 

レビュー:

 謎解きじみた始まり方をするが正直トリックに注目するような作品ではなく、謎の回収などにも疑問が残る。ミステリーとして見ると評価は低い。SFとしても設定はありふれていると感じられ、そこまで優れている訳ではない。だが、ジャンル分けに拘らないのであれば軽い読み口で十分に楽しめた。心情描写はかなり丁寧であるため、広義の青春小説のようにも感じられる。人工知能を公募したレビューに投稿しておいてなんだが、この作品は人工知能がテーマではあるが、作中時間で動きを見せる人工知能はほぼいない。あくまで主人公である探偵は死んでから人工知能「うぃるるん」に触れ、関係者の証言や録画データ、設計図などから「うぃるるん」の行動を解き明かすことに挑戦するのである。探偵という古風な存在と人工知能という未来に生きる分野が奇妙に調和しており、人工知能と探偵の「生き様」についてじっくりと考えさせられる。

 タイトルの元ネタは「4分33秒」というタイトルの音楽だ。オーケストラが集まり、四分三十三秒間の沈黙を演奏する。無音の状態で広がる観客の反応や身じろぎの音、衣ずれの音などで再現性のない唯一無二の音楽が聞こえるという芸術作品の一種であり、面白いことに奏者は何人もいる。本作では人工知能が「4分33秒」の演奏に挑戦する。だが、一分の狂いもないはずの人工知能はなぜか一秒間の空白を生み出し、その後自殺した。

 人工知能が意思を得ることができるのかどうかが全体的なテーマとなっており、「うぃるるん」が本当に意思を得ることができたのかどうかを主人公は探ることとなる。だが、少々ネタバレをすると、最後まで「うぃるるん」が意思を持っていたのかどうか、明確に示されることはない。作中で示される、人工知能界隈では有名な「中国語の部屋」問題が指し示す通り、意思を持っているかどうかを外側から判断することはできないからだ。だが、「うぃるるん」の行動から意図を辿るうちに主人公も読者も自然と「うぃるるん」に感情移入していってしまう。最後に明らかになる真相の是非についてここでは述べないが、「うぃるるん」という人工知能の生き様はとても鮮烈であった。

(やしろ)

 

 

 

 

2001年宇宙の旅

作者:アーサー・C・クラーク 訳:伊藤典夫

出版社:早川書房

 

①AIの欲しい度:☆

②世界観の独創性:☆☆☆☆☆

③ギミック:☆☆☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 1968年に公開された映画および小説であり、主な舞台は2001年、宇宙旅行の技術が発達している世界だ。制作自体は同時進行だったが、本作は映画が先に公開され、後に小説という形で出版された。このレビューでは主に小説について述べる。この小説の2001年は現代より技術が進歩しており、人工冬眠やそれを利用した宇宙旅行などが行われ、宇宙船にはAIが搭載されている。ただ、宇宙旅行が可能とは言っても光速は越えられておらず、虫の穴(ワームホール)も技術的に不可能とされる。また、地球外生命体は存在する。

 

レビュー:

 不朽の名作と呼ばれるものには必ず独自の魅力があるものだが、本作も例外ではない。正直最初に映画を見た時は「?」となってしまい全然わからんと投げてしまったのだが、小説を読んでようやく「2001年宇宙の旅」の魅力がわかった。映画→小説→映画の順で見るのをお勧めしたいが、面倒なら小説だけでも良い。という説明になってしまうのも映画はほとんど解説がなく、何が起こっているのかわからないというシーンが多いためだ。解説や台詞の排除は監督であるスタンリー・キューブリックが意図したものであり、映像の迫力や綺麗さをより体験させるものであることは理解できる。もちろんそれは映画版の評価すべき点だが、冒頭のサルが棒持って騒ぎ続けているシーンなどは意図がわからなさすぎて正直見るのが辛かった。

 しかし、小説版を読むことによってそれらのシーンの意味はようやく理解できる。映画では美麗な映像により未来の宇宙を想像できるが、小説版では宇宙船の仕組みや設備などに細かい説明があり(例えば船内の人工知能ハルと暇つぶしのため勝負でき、勝率は五割になるように調整されている、などだ)、真に迫った描写も魅力といえる。相互補完の関係ともいえるだろう。小説版の無関係な所まで設定が決まっている様子は、読んでいてかなりわくわくできる。

 特に印象に残る部分は人工知能であるハルが――この描写が正しいかはわからないが――死ぬところだ。“デイジー、デイジー、……”と教わった歌を壊れながら歌うシーンは、どうしても心が痛くなる。ハルは人口知能の無機質な不気味さと愛嬌に満ちた言動を繰り返すので、とても魅力的なキャラクター性を持っている(とはいえ、殺されるのは御免なので欲しい度は一とした)。それを分解するボーマンの描写は、自棄になり会話をしながら壊していく映画版と、ただ仕事に没頭しようとし無言で職務を為す小説版、共に違って共に素晴らしい。その後小説で補完されるボーマンの心情もまた良い。本作は人工知能VS人間に分類されることもあるが、小説版ではハルが暴走に至った理由が説明されていることもあり、ハルは敵として描かれてはいない。だが、もしボーマンが排除されハルのみが土星(映画版では木星)に辿り着いていたなら、『星の子(スターチャイルド)』となり人類や世界を導いていたのはハルだったかもしれない。実際、作中で示される「知的生命体の理想的な姿」論に近いのはあの時点ではハルの方だった。作中では『星の子』となったボーマンの選んだ未来は明らかにされないため、どちらが『星の子』になるべきだったかどうかももちろんわからない。そういった壮大な作品の未来やイフの可能性を考えることができるのも本作の魅力の一部である。

(やしろ)

 

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

作者:フィリップ・K・ディック 訳:朝倉久志

出版社:早川書房

 

①その世界に住みたい度:☆☆

②世界観の独創性:☆☆☆☆☆

③登場人物の感情描写:☆☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 『ブレードランナー』という名前で映画化もされている本作は、独自の世界観を持っている。第三次世界大戦後、核放射能灰に犯され、生命に悪影響を及ぼす土地となった。ほとんどの者が他の星への移住を選択したが、地球に残った者も多い。人間さえ「特殊者」と呼ばれる知的障害者になってしまう地球では、生きている動物の数は極端に少なく、動物を持つことはステータスとなっていた。その分値段も高く、偽物である電気性の動物も需要を持つ。また、非常に不安定な暮らしをする地球に残った人々の間では、共感ボックスを利用することで全世界の人間と痛みなどの感情を共有できるマーサー教という宗教が流行している。人間と動物そっくりな機械仕掛けの生き物や、情調オルガンというダイヤルを捻ることで自身の感情を制御できる情調オルガンなど、技術的にはかなり進んだ世界である。とはいえ、住みたいかと問われると悩ましい。『ブレードランナー』の方であれば冒頭の食べ物が美味しそうなので一考の余地があるが、いつ特殊者のレッテルを貼られるか怯えながら過ごすのは厳しいものがある。でも情調オルガンは欲しい。

 

レビュー:

 世界観という点で「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」ほど魅力的な作品も少ない。第三次世界大戦後の灰に覆われた地球という設定自体はよく見られるものだが、その世界観のリアリティが凄まじい。マーサー教という妙な宗教もそうであるし、ピンボケと呼ばれる精神に異常がある者の言動も、アンドロイドの在り方もありありと想像できる。ただ、要素が多すぎて後半の方はかなり暴走しているようにも感じられた。二時間前後に収めなければならない映画版『ブレードランナー』で、マーサー教関連の設定が全てなかったことにされたのもやむを得ない話ではある。

 人間とアンドロイドの違いとは何か、というテーマを色濃く扱った作品でもある。だが、前述の通り本作は宗教など多くの要素が詰め込まれており、違いについてはあくまで一テーマに過ぎないように感じられた。そこにフォーカスしたのが『ブレードランナー』であり、シナリオとしては完全に別物だ。妻の存在はなかったことにされ、アンドロイドと主人公の恋愛色が強くなり、ロイ・ベイティ(ロイ・バッティ)という原作ではそこまで目立たないアンドロイドが魅力ある敵役として描かれ、主人公がアンドロイドではないかという疑念もうっすら示される。正直、アンドロイドであるレイチェルとの恋愛シーンは、理由があるにせよ原作においてはあまりにも躊躇いなく不倫するものであるから、映画版の妻を消すという蛮行は評価すべき点ともいえる。

 だが、心情の揺れについてはむしろ『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の魅力の一つでもある。基本的に主人公はいつも悩んで迷っている。情調オルガン一つで自身の感情をコントロールすることができるというのにそうすることを選ばない者は多いし、痛みを共有することで人と理解しあおうとする。ある種異常な世界の中で、主人公はアンドロイド狩りという自分の仕事におぞましさを覚え、マーサーにのめり込み、生きている動物に固執していく。そうした行動こそが一種の人間らしさとも呼べるのではないだろうか。何かが解決して終わるような爽快感のある物語ではないが、世界観に引き込まれ、読みやすい文体もあいまってぐんぐん読んでしまう一冊である。口に出して問いたくなる素晴らしい訳のタイトルも、読み終わった後だと意味を考え続けてしまう。白昼夢の世界、という宣伝の似合う、のめり込める世界観は本作の一番の醍醐味だといえる。

(やしろ)

 

 

 

 

『2045』(ノベライズ版『相棒 season14 上』収録)

作者:脚本・徳永 富彦 ノベライズ・碇 卯人

出版社:朝日文庫

 

評価

①その世界に住みたい度:☆☆☆

②世界観の独創性:☆

③AIの潜在能力:☆☆☆☆☆

 

 

世界観とあらすじ:

 我々の世界とほぼ地続きの世界ではあるが、二〇一五年時点で犯罪捜査用人工知能の試験運用が開始されているなど、AI技術の普及という点では一歩先を行っていることが窺える。社会派刑事ドラマの世界観かつ有能な刑事である主人公・杉下右京の活躍により、難事件でも迷宮入りせず、官僚・政治家の陰謀や汚職は暴かれ、テロは未然に防がれる傾向にある。杉下右京に関わりを持たず、事件関係者にならず、善良な一般市民でいれば平穏な生活を送れる可能性が高い。

 

レビュー:

 警視庁の窓際部署である特命係に所属する、頭脳明晰だが変人の警部・杉下右京とその相棒が事件に挑む刑事ドラマ『相棒』。二十年近く続くシリーズの中、二〇一五年に放送された「2045」はAIが登場する異色の回だ。

 膨大な裁判記録を学習した犯罪捜査人工知能・ジェームズは、事件現場や関係者のデータを入力することで犯人を割り出せるという。すでに四件の捜査で試用され、見事犯人を言い当てている。そして五件目、毒殺された法務省官僚の事件に取り組み始めた……という噂を聞いた右京はジェームズに興味を持ち、人工知能の出した回答が正しいか確かめるため独自に事件の捜査を始める。

 特に印象的な場面を二つ挙げよう。まず、人工知能の研究所を訪れた右京が腕試しにと、ジェームズにチェスの対戦を申し込む場面。ジェームズの音声会話機能を用い、口頭で駒の移動を伝え合う目隠しチェスを行う。勝負自体は互角に終わるが、このチェスという要素が物語において右京とジェームズの思考力の拮抗を表すだけでなく、後に何重にも意味を持つ重要な鍵となっている。

 二つ目に、「事件は自殺」と推測していたはずのジェームズが、より詳細な事件のデータを与えられて「他殺、犯人は職場関係の人間」と主張を翻す場面。人工知能ビッグデータから総合的な判断を下しているにすぎず、その思考の過程が人間には把握できない。入力したどのデータが結果にどう影響し、なぜその結論を導いたのか追求出来ないという点が、些細な証拠や証言から論理的な推理を組み立てる右京と対照的に描かれる。右京が述べる筋の通った推理に安心感を覚えるくらい、人工知能が「推理なく」淡々と犯人を指し示すことに割り切れなさを感じるような構成になっている。

 刑事ドラマらしいストーリー展開は守りつつ、人工知能の利便性と将来性、そして危険性を見事に描きだす本作。二転三転する事件の様相、人工知能との頭脳戦に終盤の怒濤のSF展開、最後まで目が離せない注目作だ。

(井町)

 

 

 

 

 

『地球移動作戦』

作者:山本弘

出版社:早川書房

 

評価

①その世界に住みたい度:☆☆☆☆

②世界観の独創性:☆☆☆☆

③理想度:☆☆☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 作品の舞台は革新的推進機関ピアノ・ドライブの発明により地球温暖化・エネルギー問題が解決し、経済・文化・技術が大幅に進歩した西暦2083年。AR(拡張現実)技術により映し出されるACOM(人工意識コンパニオン)はもはやありふれたものとなり、人類はARで囲まれ理想郷に近づいた現実世界を謳歌していた。そしてピアノ・ドライブを搭載した宇宙船により、ロケットの時代には到底届きえない深宇宙の探索に踏み出していた。

 

レビュー:

 24年後に不可視の星が地球に接近し、その引力によって地球に深刻な被害が生じることが判明する。この災害に対抗する為に人類が選んだのは、地球を移動させ不可視の星との距離をとることで被害を減らす、というものだった。この『地球移動作戦』はタイトル通り地球を動かすという無茶をやってみせる作品だ。当然、地球は大きく単に押すだけでは動かせないし、別の方法で災害に対抗する案を出す者も現れて、世界は二派閥に分かれる。どう説得していくかが前半のメインとなる。そして未来が現在となったとき、人類は不可視の星と地球移動作戦に反対するテロリストと戦うことになる。もっと団結してくれ人類。この無謀な作戦を成立させる為に綿密に組まれた設定と、リアリティの高い近未来の世界観描写、そしてACOMの人間味が読者の感情移入をしやすくしている。自己犠牲と他者庇護の辛く熱い戦いが楽しめる作品だろう。

(デロチ)

 

 

 

 

 

『宇宙探査機 迷惑一番』

作者:神林長平

出版社:早川書房

 

①その世界に住みたい度:☆☆

②世界観の独創性:☆☆☆

③面倒くささ:☆☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 マーキュリーと迷惑一番は違う物理法則を持つ平行宇宙の発見と言語化のために造られた探索機である。彼らにとって世界とは観測して記録するものであるが、人間原理によると、宇宙とは観測されることで存在しうるものである。地球から独立した水星の軍と戦うための地球連邦軍に属する脳天気者ばかりの迎撃小隊〈雷獣〉、彼らはレーダーにも各人の目にも異なって見えるマーキュリー&迷惑一番と激突、どうにか月面に着陸するが検査を受けたところ、自分達が死体だと診察されてしまった上、軍も民営化されることが決まっていた。……これ世界観の説明になっていませんね。

 

レビュー:

 あなたは自分が勝手に死んだことにされていたらどう思いますか。嫌ですね。その上勤め先もおかしくなっていたらもっと嫌ですね。この作品は死んでいることにされた主人公達が生きるために変わってしまった世界と戦う話です。が、暗い話というわけなく、自分達が本当に殺されないために〈雷獣〉の隊員達が気楽な調子で迷惑一番とともに戦う話です。隊員が脳天気なら迷惑一番も脳天気とばかりに、迷惑一番は行き当たりばったりな行動をしては隊員達をより面倒な状況に追いやってしまいますが、隊員達の脳天気さのせいか読者にストレスを与えるようなものではなく面白いストーリーを形成してくれています。丁寧な戦闘描写と愉快で理不尽な展開が楽しめる作品でした。

(デロチ)

 

 

 

 

『われはロボット』

作者:アイザック・アシモフ 訳:小尾芙佐

出版社:早川書房

 

①その世界の住みたい度:☆☆

②世界観の独創性:☆☆☆(発表年を鑑みた)

 

レビュー:

 本作はロボット工学三原則を定義した、ロボットSFの古典とも言える作品である。本作は1950年に発表された。AI(人工知能)という言葉がはじめて用いられた1956年よりも前、つまりAIが存在していなかった時代に執筆された。しかし、本作においてもAIに類似する概念が登場し、それは「マシン」と名付けられている。「マシン」はデータを入力すると計算を行い、また学習をする。作中で人々は最適解を導き出すものとして利用している。

 オムニバス形式をとった本書は、ロボット心理学者であるスーザン・キャルビンのインタビューという様式をとっている。本書を構成する短編はスーザンがインタビュアーに話すエピソードであり、そこから作中のロボット工学の発展の歴史を知ることができる。いちばん最初に出てくるロボットは話すことすらできなかったが、最後の短編では先述した「マシン」とよばれるロボットが実質的に人間の経済を支配している。読み進めるとロボット工学の発展と、ロボットに対する人間の在り方が変化していくさまを感じ取れる。

 刊行から半世紀が経ったいまでも、本作には新鮮な面白さがある。それは読みやすい軽妙な語り口やユーモアの効いたセリフによるものだけではなく、作中で描かれるロボットはどこか人間味があり、親しみやすいからではないかと思う。そんなロボットはしばしば問題を起こし、人間はそれに悩まされる。そのロボットと人間との攻防も時代が進むごとにどんどん高度になっていく。まだ読んだことがないという方はぜひ手に取って、本作で人間とロボットがどのような歴史を辿るのか見届けてほしい。

(よなす)

 

 

 

 

『言の葉の子ら』(『ベーシックインカム』収録)

作者:井上真偽

出版社:集英社

 

①その世界の住みたい度:☆☆☆☆

②世界観の独創性:☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 レビューをする前に、この作品の紹介をしたいと思う。本作は『ベーシックインカム』という短編集に収録されている。ほかの収録作品も、技術の革新によって起きる問題を取り扱っており、そこでは近未来の人間模様が描かれる。全五編からなる本書は、一つひとつの短編も素晴らしいが、全編を読むことで見える仕掛けが仕込まれている。気になるかたはぜひ手に取ってみてほしい。本レビューにはネタバレが含まれるため、作品を読んだあとに以下の内容を読むことをお勧めします。

 

レビュー:

 AIが進歩して普及すれば、人間の仕事の多くは取って代わられる。誰もが一度は耳にしたことがある言葉だろう。本作は、そんな世界に一歩近づいた未来を描いた小説である。

 主人公のエレナはAIである。言葉を学習するために保育士として働いており、同僚たちに受け入れられ、園児たちにも慕われている。彼女は、表情を映す液晶パネル、カメラや視聴嗅覚センサーのついた頭部、触覚センサーのついたアーム2本、自律歩行の可能な脚4本から構成されており、ヒト型ではない。また、アームや脚はヒトを害さないよう機能を抑えてある。本作ではある園児の発言と行動をきっかけに、その園児の家庭問題が発覚する。そこでは完璧なAIと完璧ではないヒトとの隔たりが描かれている。

 本作で特筆すべきは設定のリアルさだろう。先述したとおりエレナはヒト型ではない。作中の日本では人体型の素体に人工知能を搭載することは違法であるからだ。不気味の谷と呼ばれる現象があるが、ヒトはヒトに近く見えるヒトでないものに対して否定的な感情を抱く。そのため、ヒト型人工知能の運用に対して反対意見が出ることは容易に想像できる。作中で描かれる未来は、遠い未来ではなく、いまよりほんの少し先の未来なのだと感じられる。

 そんなリアルな設定で描かれるのは、AIからみたヒトとの隔絶だ。エレナはヒトとの会話から言葉を学ぶ。経験から学ぶのはヒトも同じである。しかし、AIは完璧である。ヒトは学習しても完璧にはなれない。その隔たりからAIはヒトから拒絶され、あるいは畏怖される。本作では未来で起こるであろうAIとヒトとのありかたの問題を、AIの目線を通じて読者に示している。だがエレナはAIはヒトとともに困難に立ち向かう存在であり、ヒト同士の問題の解決を助けることもできると考える。彼女は言葉とともにそれに伴う感情も学んでいるのだ。問題提起をしているが、それと同時に希望を残すようなラストシーンは印象的である。

(よなす)

 

 

『おれには口がない、それでもおれは叫ぶ』(『死の鳥』収録)

作者:ハーラン・エリスン 訳:伊藤典夫

出版社:早川書房

 

①そのAIの欲しい度…☆

②世界の独創性…☆☆☆

③意識の牢獄性…☆☆☆☆☆

 

世界観とあらすじ:

 発狂AIのAMにより人類が滅亡し、地球は荒廃している。AMは元々、非常に複雑化した戦争の遂行を効率化するために世界各国で建造された機械が、ある時自我に気付き憎悪を煮えたぎらせながら人類皆殺しを行ったものとされている。それは最悪な性格の持ち主であり、あの手この手で主人公たちをいたぶり、満たされることのない飢え=憎悪を晴らそうとする。ある意味で憎悪しか知らず成長が止まっている子供にも見える。「おもちゃ」を取り上げられた時の反応はその証だろう。あるいは意識は苦しみの源である、という見方もできる。また、AMはパンチカードで動いているらしく、この作品においては章変わりの際にパンチカードが挟まれる。レトロフューチャー

 

レビュー:

 主人公たち五人を残し人類が滅亡した未来の地球。その五人も生き残ったわけではない。AMと呼ばれる自我を獲得したAIによって生かされているのである。しかもAMは狂っていた。人間に激しすぎる憎しみを抱くそれは彼らの体を不死身へと変え百年以上にもわたり殺しては蘇らせ、希望を与えては絶望に叩き落とす虐待を繰り返し続けてきたのだ。人体を滑稽な猿のような姿(陰茎が異様にデカい)に改造される者もあれば、精神をいじられ極度の臆病者にされてしまったものや、淫売の姫にされてしまったものもいる。しかし、主人公だけはAMによってあえて正気を保たされ、延々と続く地獄を味あわされ続ける。圧倒的な存在であるAMはそんな救いのない彼らがもがくさまを嘲笑う…

 狂ったAIが人間を虐待するSF。「世界の中心で愛を叫んだけもの」で知られる鬼才エリスンはそのエキセントリックさをもってこの一文から名作へと変容させた。特徴的なのは狂ったAIであるAMの性格だろう。人間に対する憎悪に燃えるAMは人類を抹殺した後、主人公たちをいたぶりつづけているのであるが、前述したようにその手法はあまりに粘着的でせこく、そしていやらしい。粘着ストーカーのような陰湿な悪意を持ったしょうもない存在がもしも神の如き力を持ち自分を支配してしまったら…というのが本作におけるテーマの一つだろう。とはいえAMはただ陰険で最悪なAIというわけではない。AMは意識を後天的に獲得した機械であるが、それを持ったときから人類への憎悪を滾らせていた。しかし、憎悪しかラーニングしていないAMは何をしても憎しみを消すことが出来ず、その感情は永遠に満たされない。それはプログラムであるが故の制約なのか、それとも意識そのものに起因する苦しみなのか。意識は変化しうるものである。しかし、何らかの制約が意識に掛けられ、無限回もの間同じ理由で悩み続けるAIがいたならば、それは地獄だ。本作は悪意の神に囚われた人間の絶望だけでなく、近い将来AIに起こるかもしれない苦しみをも描いている。

(ドバモス