名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

2021新入生レビュー

2021新入生レビュー

 みなさんこんにちは。名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会です。

 迷大祭企画の一つとして、新入生レビューの公開をさせていただきます!

 今年はたくさんの新入生に入っていただき、本当にありがたいです。新入生の方の名刺代わりの一作、その作品に込めた思いをどうぞお楽しみください。

 

『ヒトごろし』

作者:京極夏彦

出版社:新潮社

 

 私が今回紹介するのは、私にとってはもはやバイブルともいうべき、京極夏彦の「ヒトごろし」という作品である。新撰組といえばだれもが一度は耳にしたことがあろうし、その新撰組の鬼副長、土方歳三の名も司馬遼太郎の「燃えよ剣」や北方謙三の「黒龍の棺」などでかなり世間に著聞しているのではないだろうか。「ヒトごろし」は、その土方歳三を主人公として青年期から死ぬまでを描いた作品のうちの一つである。しかし、あくまで私にとってバイブルと称せられるのは、かの作品のみなのだ。その理由を、次に述べようと思う。

 たいていの土方歳三を描いた作品は、彼の、百姓にもかかわらず誰より武士らしいといえる男らしさ、幕末の動乱のさなかに日本の未来を憂える苦悩、新撰組を組織としてまとめ上げた剣の腕のみにとどまらぬ有能さ、などを前面に押し出して彼の人生を描写していく。その根底に流れるのは、いわば男としてかっこいい土方歳三だ。しかし、かの作品は違う。前面に押し出されるのはまさに、土方歳三の「ヒトごろし」としての一面であり、人間としての面白さなのである。この作品を読んだ方は、特にそれまでですでに土方歳三を描いたほかの作品に触れたことのあった方は、最初はそこに描かれる人物像に大いに驚かれたはずだ。けれども、読み進めていくうちに、その理の通った独特の思考回路、感情の動きに惹かれ、本の分厚さなど苦にもせずいつの間にか読み終わっていたことだろう。そしてきっと、どこまでが史実に基づいた土方歳三か、という点に興味を引かれて次の本に手を伸ばしたに違いない。これはあくまで一例だが、このように、「ヒトごろし」は読書中のわくわく、読了後の達成感に加え、読み終わった後の興味の広がりまで、最高の読書体験を読者に提供してくれる作品である。このような駄文には収まりきらない「ヒトごろし」の良さ、ぜひ実際に読んで確かめて頂きたいと思う。

(怪異)

 

 

 

ペンギン・ハイウェイ

作者:森見登美彦

出版社:KADOKAWA

 

 中学三年生の時に『四畳半王国見聞録』を読んで以来、今でも私の好きな作家の一人である森見登美彦氏。そんな彼の作品の中で『ペンギン・ハイウェイ』は異色の存在ともいえる。舞台は京都ではなくとある郊外の街であり、主人公は腐れ拗らせ京大生ではなく小学生の男の子であり、文体は分かりやすく非常にすっきりしている。それでも森見氏独特の洒落た掛け合いの数々はこの作品においても発揮されている。

 主人公のアオヤマ君は小学四年生。好奇心に満ち、気になったことをノートに書きとめる癖のある少年である。そんな彼の街に突然ペンギンが現れた。どこから来たのか、ペンギンは本物のペンギンなのか。彼はペンギンの謎を解き明かそうとする。アオヤマ君はいろいろなことに興味を持っているが、彼にとって特に興味深いのは近所のカフェで一緒にチェスをする歯科医院のお姉さんである。このお姉さんが非常に不思議で魅力的な人物として描かれている。お姉さんが投げた缶コーラがペンギンに変身するのを見たアオヤマ君に、「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか」と笑いながら言う。たまにペンギンではなくコウモリやジャバウォック(怪獣)を生み出す。アオヤマ君の真面目すぎるが故の若干ずれた返答にも、お姉さんは笑いながら軽妙な返しをする。

 やがて森の中にある「海」と呼ばれる透明で巨大な球体を見つけ、友人たちと一緒に「海」の観察を始めるのだが、やがてこの「海」もペンギンとお姉さんに関係があるのではないかとアオヤマ君は思い始め、いろいろな仮説を立てる……。

 この小説は、ひと夏の少年の成長を描いた傑作である。物語の終盤、ついに謎を解き明かしたアオヤマ君は、大好きなお姉さんとの別れを経験することになる。そしていつか立派な大人になってお姉さんに再び会うことを願うのだ。

「泣くな、少年」「ボクは泣かないのです」

(肇)

 

『私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない』(短編集『すべての終わりの始まり』収録)

作者:キャロル・エムシュウィラー

訳者:畔柳和代

出版社:国書刊行会

 

 2005年のネビュラ賞短編部門受賞作である本作は、キャロル・エムシュウィラーの作風をよく体現している作品だ。この女性作家の作品は例外なく、不思議な設定で始まり、そして不思議のまま終わる。しかし読み進めるうち、作品は読者の心へとぐいぐい入り込み、何か温かいものを残していく。

 本作のタイトルを見たら、まずこう思うだろう。私とは何なのかと。鼠や猫のような動物だろうか、あるいはフライパンや本棚のような物だろうか、もしかして幽霊かも、と。しかし私の正体は早々に明らかになる。「あなたは私とぴったり同じサイズ。だから私はここにいるのだ。」(本文より)

 そう、私とは正真正銘人間の女性である。異様なまでに影が薄く、デパートや書店に潜みながら暮らす私はある日、外面も内面も私にそっくりなあなたと出会う。それまで暮らしていた書店に退屈していたので、私はあなたの家で暮らすことにする。私は屋根裏部屋を寝床とし、あなたにいたずらをしてはその反応を楽しむ。あなたも次第に私の存在に気付くようになるが、極度の人見知りのため他人に助けを求められない。そんな日々にも退屈した私は、外で見かけたある醜い男をあなたの家に連れてくることを思いつく……

 あらすじはこんな感じである。本作は終始私の視点で語られる。私の変わった生活や考え、そしてそれを描写する口調の一言一言は素朴で、詩のような魅力がある。実際、あまり多くを語らないという点では詩的だ。そして、気ままでいるために敢えて一人で生きる私と、他人と関われず、他人を避け続けて一人で暮らすあなたの日々での出来事は生活感あふれ、読んでいて愉快な気持ちになる。その一方で、私とあなたの関係の最後には、少し切なさも感じる。その原因は、私のあなたに対する愛である。

 エムシュウィラーの作品では、様々な形の愛が描かれる。愛着のようなものもあれば、愛護のようなものもあるが、言葉で表すのは難しい。本作でも、あなたに対する私の愛はやはり形容し難い。しかし、描かれた愛は読者の心に残り、読者が大きな満足感を得ることは間違いない。

(02式)

 

 

 

『影法師』

作者:百田尚樹

出版社:講談社

 

 これほどまでに友のため、人々のために自分の人生を尽くすことができる男がいるのだろうか?

 人のために尽くす、それが社会的・道徳的に正しいとわかっていても、実際に行うことは難しい。高齢者の方に席を譲るような小さなことでさえ、恥ずかしかったり、面倒であったり、様々な理由でしないことが多い。それゆえ、この本の主人公、勘一の竹馬の友である彦四郎の行動には疑問がつきまとうのである。なぜ自分を犠牲にし、勘一のため、人々のために尽くすことができたのか、という疑問である。あるときには、背中に刀傷を負い、勘一に花を持たせ、またあるときには、藩から逐電されるのを覚悟し、友が悪事を暴くことを助ける。思うに、彦四郎には自分自身や周りについて客観的に見ることができていたのではないかと思う。彦四郎はなんでも器用にできて、友人からも慕われ、大人からも将来を期待されていた。しかし、彦四郎には何かをやり遂げようという強い気持ちがなかった。道具として役立つことはできても、人の上に立ち、干拓という大きな事業をやり遂げていくのは難しいということを彦四郎自身も自覚していたのではないか。また、勘一については、貧しい武家の出身ながらも、武士としての正しい生き方を貫こうとする姿勢、家族や友人、近所の者などを純粋に助けようと思う気持ちに気づいていた。そして、生きるためには米が何よりも必要だという事実にも気づいていた。彼は、そんなことに気づいてしまい、また、自身の犠牲という助けがあれば、必ず干拓は達成できると勘一を信じていたからこそ、尽くすことができたのである。

 最後まで読み進めたとき、タイトルの「影法師」の意味がわかる。主人公である勘一の影に潜み、彼が気づかないようにひそかに助け続ける。この本では、勘一の視点で物語が進んでいくが、最後まで、彼の視点からは、なかなか彦四郎の犠牲に気づけないのである。彦四郎はまさに影の主人公である。

(mozuku)

 

 

 

『ようこそ地球さん』

作者:星新一

出版社:新潮社

 

 星新一という作家をご存じだろうか。ショートショートを中心に千一話以上の作品を世に生み出し、どの作品も質の高いものであったことから「ショートショートの神様」と呼ばれている作家である。ショートショートとは、短編小説よりもさらに短い小説で、一般的には最後に予想外の結末がある、アイデアの面白さを追求したものであることが多い。そんな彼のデビュー作がこの本に掲載されている「セキストラ」である。この本には四二編の作品が掲載されており、その全てを紹介することは出来ないため、「セキストラ」を含め私が気に入った作品をいくつか紹介することにする。

 「セキストラ」

 先にも述べたようにこの作品は星新一のデビュー作であるが、その内容は彼のほかの作品と比べてかなり異質である。はっきりとしたストーリーは示されておらず、タイトルになっているセキストラに関する記事を中心に、多くの新聞や雑誌の記事、手紙などがまとめられているだけである。セキストラとは何なのか、それぞれの記事はどうつながっているのかなど考察しながら読むと楽しめるだろう。

 「処刑」

 オチが秀逸な作品である。死刑囚たちは銀の玉ひとつと百食分の食事を持たされて資源が取りつくされた惑星におろされる世界が舞台となっている。銀の玉にはボタンがついており、それを押すと水を作ってくれるが、特定の回数ボタンを押すと爆発する。何度も死の覚悟とそれを乗り越えることを繰り返した主人公が最後に見たものは何か、複数の解釈ができる作品だ。

 「友好使節

 かなり短いながらも笑える作品だ。翻訳機と精神判読機を持った宇宙人がやってきて地球人と会話をする話だが、思っていることと言っていることが違う地球人をあまのじゃくな文化の人と勘違いした宇宙人は親愛を込めて罵詈雑言を浴びせてしまう。両者のすれ違いが面白かった。

 他にも紹介したい作品があるが、文字数の関係上もうできそうにない。このレビューを読み、興味を持った方はぜひこの本を読んでほしい。そうでない方は紹介してない三十九編を読み、本当に自分に合わないか確認することをおすすめする。

(熊崎駿)

 

 

 

私が彼を殺した

作者:東野圭吾

出版社:講談社

 

 脚本家の穂高誠の結婚式の前日、彼の元恋人である女性が突如穂高の家に現れ、服毒自殺を図る。そして穂高も結婚式当日に何者かに毒殺されてしまう。容疑者は穂高の婚約者(結婚式の花嫁)の兄、穂高のマネージャー、穂高の編集者の3人。話はこの3人の目線から交互に描かれる。物語が終わっても犯人の名前が明かされることはなく、読者が文中の細かい部分にも注目して読み進めなければ犯人が分からないという仕組みになっているため、推理小説を読んでも自分では事件の真相がわからず、主人公が解決していくのをただ読むだけになる・自分で推理をしてみたいという方に特におすすめの作品である。

 同じ作者の作品で、これよりも前に出版された『どちらかが彼女を殺した』も同様に読者が自分で推理をする形式になっている。しかし、『どちらかが彼女を殺した』では容疑者の人数は2人だが、『私が彼を殺した』では3人に増えている。さらに、前作では被害者の兄(容疑者ではない)の目線から話が進められているが、この話では容疑者の3人それぞれの目線から話が進められているため、目線が一定ではないなどの難しさもある。

 容疑者だけではなく、他の人物の言動ひとつひとつに気を配りながら読み進めていくことになるが、細かい伏線にすべて気づくことはかなり難しいと思う。巻末には「推理の手引き」という本全体の解説が書かれた付録がついているため、それをヒントにしながら犯人を考えてみることもできる。

 3人の主張が少しずつ噛み合っていく過程がとても面白いと思う。推理小説が好きな方は、是非読んでみて欲しい。

(クローバー)

 

 

 

小説の神様

作者:相沢沙呼

出版社:講談社

 

 「小説の神様」は2016年に講談社タイガより刊行されたフィクション小説だ。私はこの本を、今までライトノベルくらいしか小説を読んだことがない、という人に特に強く勧めたい。「小説の神様」には、なぜ小説を読むのか、ということが読み慣れていない人にもわかりやすく、テンポよく書かれているからだ。

 主人公は三年前に新人賞を受賞し、周囲からの期待を受け作家としてデビューした高校生作家の千谷一也。しかし小説の売り上げは伸びることなく、次第に書店に並ぶこともなくなり、SNSでは酷評を受け、千谷の小説に対する熱意はすっかりなくなり、なぜ小説を書くのかという意義まで見失っていた。そんな千谷に人気女性作家・不動詩凪と合作で小説を書いてみないかという話が舞い込む。実はその女性作家の正体は美人転校生の小余綾詩凪だった……。

 私がこの本を特にライトノベル読者に勧めたいと思ったのは、この話は読み方によってライトノベル風にも、一般小説のようにも読むことができるからだ。この話は細かな心情描写をはさみながらも、基本的には登場人物の会話を中心として進む。そのため、極論、会話文だけを読んでいけば、話の流れを感じ取りつつも軽快に読み進めることが可能だ。一文一文の長さが短いことも相まって読みやすくまとまっている。ただ、この本の魅力はストーリーだけではなく、会話の中にある繊細かつ大きな感情の変化にこそある。彼ら登場人物は根本的には正直で優しい人たちだ。しかし正直であるがゆえに、時に衝突し、理解しあえないこともある。一転二転する状況と、彼らの心情の変化にきっと心奪われてしまうことだろう。

 私たちはなぜ小説を読むのか、物語にはどんな願いが込められているのか、あなたにとっての「小説の神様」は何なのか、あなたのために書かれた本を探すための一歩目となることだろう。

(よまなつ)

 

 

『姉飼』

作者:遠藤徹

出版社:角川書店

 

 第10回日本ホラー小説大賞、短編部門の受賞作である本作。異様なタイトルが目につくが、内容はそれをはるかに超える異様な世界観を映し出している。

 その中心にあるのは、タイトルにもある「姉」である。村の繁栄を願う脂祭りが行われる夜、出店に売り出される「姉」たち。それらは胴体を太い串で貫かれ、ぎゃあぎゃあと泣き喚く。あるものはその真っ黒い髪を振り乱し、手足に伸び放題の爪を振り回す。まさしく化け物である「姉」ら。主人公である少年はその「姉」の異様な姿に魅入られ、その生涯を「姉」にささげることを運命づけられる……。

 この作品の特徴は、何と言ってもひたすらにおぞましい描写の数々である。ただグロテスクというだけではB級映画と変わりはしないのだが、『姉飼』に関してはそれにとどまらない。不定形で強烈な異臭を放つ「蚊吸豚」や、その脂身を用いた神輿を担ぎ、溶けてきた脂を喜んで浴びるという「脂祭り」などが、読み手にこれでもかと不快感をぶつけてくる。だからこそ対照的な「姉」周りの描写が鮮烈となっている。淡々とした主人公の視点から語られるグロテスクでエロティックな「姉」の姿からは、主人公の静かな狂気、「姉」への心からの崇拝が垣間見える。

 本書には表題作『姉飼』のほか、遠藤徹の短編が三作おさめられている。『姉飼』にはその異様な世界観に気を取られてしまうが、純粋で狂った主人公を書ききった描写力もまた魅力である。他の作品では作品の持つパワーはそのままに、エログロ描写が抑えられている代わりに、人間味あふれる語り口で巧みな内面描写を楽しむことができるだろう。特に『ジャングル・ジム』は文面のシュールさも相まって、読後に奇妙な感覚に陥るはずだ。

 たった数十ページで価値観を変えてしまうほどのパワーが詰まった作品たちである。一読することを強く勧めるが、食後に読むのは避けた方がよいかもしれない。

(にら玉)

 

 

 

『鵺の鳴く夜が明けるまで』

作者:door

出版社:双葉社

 

 フランスへ飛び立つことなった両親に取り残され、全寮制の高校に編入することになった榊原来夢。ミステリィ好きの彼女は入部したミステリィ研究会の先輩に呼び出され、その先輩の遺体を目にした。

 ミス研で最もミステリィに詳しいツンデレ、榊原来夢。資産家の家系にいる部のムードメーカ、青山胡桃。五か国語も話せる常に人形を持った不思議ちゃん(?)、姫草さゆり。フランスから留学してきたどS天才少女、紫苑乃亜。部の顧問で変人数学教師の鵺夜来人。この小説は2013年頃に「小説家になろう」で投稿され、後に有名な漫画アプリのcomicoで連載されることになった、人気のあるネット小説。メイン五人だけでなくサブキャラもキャラが濃く、当時のミステリィとしては珍しい、キャラ性に重きを置いた作品ながら、古典ミステリィなどのトリックの本格性も持ち合わせた、読み応えの作品である。

 古典ミステリィからの引用、目新しい物理トリック、物語を引き立たせる叙述トリック、終盤を彩る推理ショウ。ミステリィを普段から嗜む方をとても楽しませる仕掛けを施しつつも、印象的なキャラたちや読者を先の展開へと誘うライトな語り口によって、ミステリィ初心者の方もスクロールを進められるように配慮されている。また、キャラたちの強い個性は、ただキャラを際立たせるためだけに用いられているわけではなく、ちゃんと重厚なストーリィに組み込まれているため、キャラ小説において分離しがちなその二つをうまく調和せているというのも魅力の一つだ。

 実は、この小説の第一作目は作者が高校生のころ、大学受験の最中に書かれていた物語であり、大学生活の合間に連載を行っていたらしく、ちょうど私たちと同じ年齢のころに創られた作品だ。私たち若者が持つ感性を存分に発揮された小説。ぜひ、一読してみてはどうだろう?

(緋色の糸)

 

 

 

家族八景

作者:筒井康隆

出版社:新潮社

 

 本作は超能力を生まれ持った十八歳の少女、七瀬がお手伝いとして様々な家庭を渡り歩いていく連作短編集である。超能力と言っても外界に作用を及ぼす類のものではなく、彼女にできるのは人の心を読むことだけである。また、ほかの超能力者が出現することも基本ない(派手な超能力バトルなども当然始まらない)。タイトルからも分かるように、七瀬は一単編ごとに一家庭ずつ、計八つの家庭をその読心能力によって隅々まで観察するのである。

本作の見どころは七瀬の読心能力によって明らかになる、各家庭とそこに住む人々の歪さである。登場する八つの家庭すべてがどこかに大きな問題を抱えており、例を挙げると、不倫、早期退職した父親、マザコン男など、バラエティー豊かである。七瀬の能力によってあからさまに描かれる歪な家庭像は一種の風刺のようにさえ見える。この作品を読むと、ろくでもない登場人物が多すぎるように感じることがあるかもしれないが、七瀬という特殊な装置を活かすために自我、自意識、もっと言えば欲が強い登場人物が多くなっている、と考えることもできるだろう。この登場人物たちの自意識の複雑な絡まり合いが面白いのである。

 作中において主人公七瀬は右で書いたような観察者であり続けるわけではない。十八歳のお手伝いさんという立場上、七瀬自身も周りの人間から様々なことを考えられるのだが、それらもすべて筒抜けであり、人間が他人に向けるありのままの感情の恐ろしさを感じることができる。

 七瀬は生まれ持った能力のせいか同じ年頃の人間に比べて冷静で、どこか達観した風にも見える。これが地の文にも影響しており、感傷に浸ることなく淡々と話が進んでいく感覚が読んでいてとても心地よい。また、会話中に発言者の考えがモノローグとして現れることがあるが、実際に発せられるセリフとしての言葉と、七瀬の能力によって明らかになる発言者のその時の気持ちが入り混じったハイテンポな会話がおもしろい。

 本作は人間のドロドロとした面をこれでもかと描いた小説であり、好き嫌いが別れることが予想されるが、いい意味でも悪い意味でも多くの読者の印象に残る作品だろう。

 方向性の全く異なる続編「七瀬ふたたび」と「エディプスの恋人」もあるのでそちらもぜひ読んでみてほしい。

(ひよこ)

 

ロング・グッドバイ

作者:レイモンド・チャンドラー

訳者:村上春樹

出版社:早川書房

 

 『ロング・グッドバイ』は極めて分類の難しい小説である。ある人はこの小説をミステリの名作といい、またある人はハードボイルドの具象であるという。新訳を手掛けた村上春樹氏は、本作を「準古典小説」と位置づけている。私にとってはこの表現が一番しっくりくる。興味を持たれた方は、文庫版巻末の素晴らしい解説を参照されたい。

 なぜ『ロング・グッドバイ』が極めて高い評価を受けているのか、僭越ながら私見を述べる。この小説は、類似作品と比べ、飛び抜けて密度が高い。紙面一杯に詰まった活字を追いかけていくうちに、主人公であるマーロウの独特な世界観が、自らの視線と重なっていく。どれだけ拡大してもジャギーの見えない画像データのように、ぼやけることのない闊達な文章の数々は、他のミステリ小説ではめったに見られない、表現に対する真摯な姿勢を示している。読む側はもちろん疲れる。それでも手が止まることはなく、イヤダイヤダと思いながらも最後のページにたどりついてしまう。限りなく作り込まれた虚構の世界観はもちろん、リアリズムに徹しながらも人間的な登場人物たちが、効果的に働いていることは言うまでもない。

 中でも取り上げたいのはコーヒーの描写についてである。物語の序盤、本作のもう一人の主人公ともいえるテリー・レノックスが、探偵マーロウの部屋を訪れ、ティファナにある空港まで車を出すよう要求する。この緊迫感あふれるシーンにおいて、マーロウは馬鹿丁寧にコーヒーを淹れる。チャンドラーはこの手順の描写に大きく紙幅を割いているのである。他にも読みごたえのある文章が多く、辞書代わりのスマホを片手に少しずつ読みすすめると、作者の観察眼の鋭さに脱帽する(最も面白いのは、これらの丁寧な描写が、本筋にほとんど関係ないということである)。

 分野の狭間に落ち込んだ小説には名作が多いように思う。このような作品に出会える幸運を大事にしたい。

(荒浪)

 

 

 

PSYCHO-PASS サイコパス

制作:Production I.G

監督:塩谷直義

 

 『PSYCHO-PASS サイコパス』は、Production I.G制作のオリジナルテレビアニメ作品であり、ジャンルはSF、アクション、推理系。第一期はフジテレビ「ノイタミナ」にて、2012年10月~2013年3月にかけて放送された。現在は第三期まで放送されているが、ここでは主に第一期について書こうと思う。

 作品の舞台は西暦2112年(物語開始時)の日本で、大雑把に説明すると、ITやドローンなどの技術が進歩した、監視社会のような世界観だ。人々は<シビュラシステム>という支援システムに依存し生活している。<シビュラシステム>とは、計測された情報から精神状態を分析し、人の深層心理を読み取ることができるもので、これによって<犯罪係数>という数値を測定する他、職業適性や日々の生活のサポートを行う。主人公たちは公安局刑事課に所属し、犯罪行為を取り締まる活動をしつつ、この社会についても否応なしに考えさせられることになる、というのが筋書きだ。

 この作品の良さは、作りこまれた設定や世界観に起因するリアリティであると思う。SF的な要素はIT系統のものがほとんどで、作中で近未来的技術が登場する場合には、技術の負の側面や、社会に与える影響まで作りこまれている。そのため、未来にはあり得るかもしれないと思わせるような世界観になっているのだ。実際、作中のAIのような、ビッグデータの活用は現実社会でも実現されつつある。また、監視カメラに映った人間の心拍などから犯罪を行う人を事前に見つける技術も開発されつつあるそうだ。人間の意識を解明する試みも実際に行われていて、東京大学渡辺正峰教授は人間の意識を機械の中で生かすことを目標に研究し20年以内の実現を目指していらっしゃるそうだ。この類の話を聞くと、<シビュラシステム>のように、心理を数値化することも可能である気がしてくる。現実感がある故に、物語の展開が納得できるし、伏線が回収されるときの感動も一入だろう。

(ロゴゴサロー)

 

 

 

『楽園の烏』

作者:阿部智里

出版社:文藝春秋

 

 現代日本ファンタジー界を牽引する若き作家の名前を一人挙げよ、と言われたら、私は迷い無く、阿部智里を選ぶだろう。同じシリーズでありながら、一作品ごとにそれまでの世界観をまるごとひっくり返す、驚天動地のストーリーテラー

 2012年、デビュー作『烏に単は似合わない』で、松本清張賞を史上最年少の20歳で受賞。『楽園の烏』は続く「八咫烏シリーズ」の第七巻に相当し、シリーズ第二部の一作目となる。他、同シリーズの外伝を単行本として二冊分執筆している。松本清張賞を受賞というからにはミステリではないのか、と思う人もいるだろう。その通り、「八咫烏シリーズ」は平安王朝ものであり、キャラクターものであり、ハイダークファンタジーにして、ミステリである。

 人間の安原はじめは謎の美女の導きで「山内」に足を踏み入れる。そこは外界の人間とは異なる「八咫烏」たちが住まう正真正銘の異界だった。「山内」の政治の全権を統べる雪斎は、はじめに「山内」を内包する山の権利を譲ってくれるように求める。「山内」の民は「ここは楽園だ」と口を揃えて言うが……。

 舞台は現代日本のとある山奥で「山神」によって開かれた世界「山内」。さらに本作は第一部の最終六作目から約20年後の世界である。前作からかなり時間を経ており、新たな顔ぶれが並び、政治の勢力図も変化している。そのため読者は今までの登場人物たちの安否や空白の期間を埋める言葉を求めつつ読み進めていくことになる。もちろん本作から読んでも差し支えないが、最後の一文が刺さるために、シリーズを最初から読むことをおすすめする。阿部智里は読者泣かせの天才である。

 本作の論点は「楽園とは何か」。安全で衣食住が満たされている、それだけでここは楽園たり得るのか。そして、雪斎こと「彼」の辿る道の先に何が待ち受けるのか。「彼」の悲痛な叫びは切なすぎる。本作を読み終えた瞬間から次作が楽しみで仕方ない。

(雨宮)