- 作者: 田中ロミオ,戸部淑
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/11/18
- メディア: 文庫
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人類の衰退をもっとシリアスに描いた小説はいくらでもある.というか,人類の衰退はもっとシリアスに描かれるのが普通だ.飢餓や貧困,格差とか,発展・栄華から一転して絶望とか.
この小説でそうなっていないのは,なぜだろう.
人類が衰退したことと,情熱の萎縮とを結び付けている部分がいくつかある.
たとえばわたしたちは、人類が引退を決意した決定的な理由を知りません。ただ遠い昔、そういう決断があったとだけ伝えられています。
どこかに情報は眠っているのかもしれません。
でもそれを取り出して改め、真相を明らかにしようという情熱を、もう我々は有していません。
衰退しちゃってるんです。
衰退にシリアスになれるのも,人間に情熱があってこそ.本当に衰退してしまったらそんな情熱すらなくなってしまう.だから衰退には絶望もない.そんなスタンスで書かれているのかな,と思う.
「わたし」の一歩引いた目線,無気力ながら楽しげな生活も,読者にシリアスでない衰退=気楽な衰退の印象を与えるのに重要な役割を果たす.あの世界で生きるのは(我々の生活と比較して)それなりにシンドイことだと察せられるが,読者はそれを意識しなくて済む.
実際にシンドイとしても,幸福かどうかはまた別の問題だ.ということを踏まえて,功利主義についてちょっと考えてみたい.倫理学における功利主義とは,人類の功利(幸福)の総和を最大化することを善とするものである.だが,実はもっと色んな議論があって,総和じゃなくて平均じゃダメなの? とかいったことも問題になったりする(それを議論するのは学問としては流行ってないみたいだけど).
衰退して人口が減っても,一人一人が幸福であればそれでいいんじゃないか,という考えも当然ありうるなあ,というようなこともボンヤリと考えられて,面白いんじゃないかな.
ところで,衰退していく人類を,新人類としての「妖精さん」たちが引き継ぐことになっている.新人類と断絶してしまう絶望を描く作品もあるが,この点についても本作品はのほほんと気楽に描く.
なぜ新人類はこんななのか? ガツガツすると戦争やら何やら旧人類のように衰退してしまう,だから新人類は楽しいことを至上価値とするように進化した,と解釈できる.
この妖精さんというのが,楽しければいいじゃん,という“ゆとりちゃん”的,新世代の価値観を象徴しているようにも思えるし,さらにはそういう価値観を擁護しているように見える.「わたし」の無気力感もそう.
こういう価値観って,それはそれで良いところも悪いところもあると思うのだが,いずれにしても,若者にとって面白いのはそういう理由もあるのかも.いや,自分も若者だし,面白かったけど.
(小島)