名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

人類は衰退しました 1(田中ロミオ)

人類は衰退しました 1 (ガガガ文庫)

人類は衰退しました 1 (ガガガ文庫)

 あとがきに「内容とはそんな関係ないんだけど売れそうなタイトルづくりを目指しました」とあるので,野暮なことこの上ないんだが,衰退についてマジメに書こうと思う.


 人類の衰退をもっとシリアスに描いた小説はいくらでもある.というか,人類の衰退はもっとシリアスに描かれるのが普通だ.飢餓や貧困,格差とか,発展・栄華から一転して絶望とか.
この小説でそうなっていないのは,なぜだろう.
 人類が衰退したことと,情熱の萎縮とを結び付けている部分がいくつかある.

 たとえばわたしたちは、人類が引退を決意した決定的な理由を知りません。ただ遠い昔、そういう決断があったとだけ伝えられています。
 どこかに情報は眠っているのかもしれません。
 でもそれを取り出して改め、真相を明らかにしようという情熱を、もう我々は有していません。
 衰退しちゃってるんです。

 衰退にシリアスになれるのも,人間に情熱があってこそ.本当に衰退してしまったらそんな情熱すらなくなってしまう.だから衰退には絶望もない.そんなスタンスで書かれているのかな,と思う.
 「わたし」の一歩引いた目線,無気力ながら楽しげな生活も,読者にシリアスでない衰退=気楽な衰退の印象を与えるのに重要な役割を果たす.あの世界で生きるのは(我々の生活と比較して)それなりにシンドイことだと察せられるが,読者はそれを意識しなくて済む.
 実際にシンドイとしても,幸福かどうかはまた別の問題だ.ということを踏まえて,功利主義についてちょっと考えてみたい.倫理学における功利主義とは,人類の功利(幸福)の総和を最大化することを善とするものである.だが,実はもっと色んな議論があって,総和じゃなくて平均じゃダメなの? とかいったことも問題になったりする(それを議論するのは学問としては流行ってないみたいだけど).
 衰退して人口が減っても,一人一人が幸福であればそれでいいんじゃないか,という考えも当然ありうるなあ,というようなこともボンヤリと考えられて,面白いんじゃないかな.


 ところで,衰退していく人類を,新人類としての「妖精さん」たちが引き継ぐことになっている.新人類と断絶してしまう絶望を描く作品もあるが,この点についても本作品はのほほんと気楽に描く.
 なぜ新人類はこんななのか? ガツガツすると戦争やら何やら旧人類のように衰退してしまう,だから新人類は楽しいことを至上価値とするように進化した,と解釈できる.


 この妖精さんというのが,楽しければいいじゃん,という“ゆとりちゃん”的,新世代の価値観を象徴しているようにも思えるし,さらにはそういう価値観を擁護しているように見える.「わたし」の無気力感もそう.
 こういう価値観って,それはそれで良いところも悪いところもあると思うのだが,いずれにしても,若者にとって面白いのはそういう理由もあるのかも.いや,自分も若者だし,面白かったけど.
(小島)