名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

ナイフ投げ師(スティーブン・ミルハウザー)

ナイフ投げ師

ナイフ投げ師

スティーブン・ミルハウザーの短編集をお送りします。

これらの作品群の中には大まかに言って二つの特色があると思います。

一つは「語り」方、そのものの魅力です。

文章表現は非常に精緻であり美しく感じられます。多く事細かに書き込んではいますが、語っているのはその登場人物の一人ですから、写実的というよりは多く主観的、感情的であり幻想的な描写となっています。


二つ目は、その作品の中心に、魅力的な何か、があるということ。天才であったり、テーマパークであったり百貨店であったり地下室であったり。もちろん、それはそれだけで魅力的でしょう。何らかの偉業をなした人の人生について語った本を伝記といいますが、このような本が存在するということ自体が天才の存在がそれだけで魅力的であるということの証拠になるでしょう。

この短編集のすべての作品に、とはいいませんがミルハウザーの作品の中にも確かにそれはあります。そして、それだけではありません。その存在を引き立たせているのはやはり、ミルハウザーの「語り」にあると思います。

例えば表題作「ナイフ投げ師」を見てみましょう。話の中心人物はナイフ投げ師・ヘンシュです。彼はナイフ投げの天才であり且つ不穏な噂がたえない興味深い男です。しかし、語っているのは誰かといえば、ヘンシュが興行に訪れた町の一観客です。つまり、作品の中心人物であるヘンシュの行動や言動を一人称や三人称で追っているわけではない。視点はその中心から少しずれたところにあるわけです。

視点をずらすことによって、しかも、それがある人物の「語り」であることによって、題材はその魅力をさらに増していると思われます。

例えば、このヘンシュは不穏な噂がたえない男だったわけですが、そのヘンシュの情報は語り部によって小出しにされている。最後まで全部読みきっても語り部の知りうるかぎりの情報しか出てきません。また、そもそも視点がヘンシュにない以上、彼が何を思って行動したのか、演目はどこまでがトリックを用いたものだったのかといったことは語り部の見たこと、推理したこと以上には分かりえません。さらには、語り部もまた人間である以上、彼のヘンシュの描写にはある種の価値が含まれざるをえない。もちろん、どんな表現にも価値判断は含まれるのが常でしょう。しかし、その価値とは作者を通して語られた登場人物の価値でもあるのです。「ナイフ投げ師」の場合、語り部は必ずしもヘンシュを好意的に評してるとはいえませんが、少なくともヘンシュに対する興味はある。そういった感情、価値を持った語りで読者を引き込むことで読者にも主題に対する興味を沸かせているといえるでしょう。また、彼の演目を見た人たちの噂や評判というものもあります。そういった不確かな情報はヘンシュの人物像に特別な色合いを付加するものであっても、正確な情報を提供するものではありません。

このように一つの題材、人物を包囲するかのごとく、それを取り囲む人たちが多くのことを「語って」いるのに対して、当の題材、本人は沈黙を守ったままです。ここに、一つの大きな闇が存在します。つまり、どうしても分からない部分、ミステリアスな部分があるのです。これが主題の魅力を高めている一つの要因といえるでしょう。

以上述べた二つがあいまって、非常に独特な世界が構築されています。

ミルハウザーの珠玉の世界に魅了されたい方は是非どうぞ。おすすめです(三笠)