名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

スターウォーズ

ジェダイの騎士が滅亡して久しい時代、銀河系は帝国による圧政下にあった。そんな中、小さな反乱軍が、帝国が誇る最終兵器=要塞デス・スターの極秘設計図を盗み出し、必死に抵抗する。銀河皇帝が最も信頼をおくダース・ベイダー卿は、秘密の設計図を奪還し、反乱軍の本拠地を探し出すよう命ぜられる。時同じくして、帝国に囚われの身となった反乱軍のリーダー、レイア姫は救援信号を発信するが、それを受信したのは一介の農場手伝いの青年、ルーク・スカイウォーカーであった。自らの運命に導かれるかのごとくルークは、賢者オビ=ワン・ケノービ、ならず者のハン・ソロと相棒のチューバッカ、ドロイドのR2-D2C-3PO等忘れ得ぬ仲間たちとともに、レイア姫の救出と反乱軍による帝国の壊滅に身を投じていく。
普通のことを書いても仕方がないだろう。いや、後述の内容も既出かもしれないが。名作ゆえに言い尽くされているのでね。それでもふと思いついたことを少し書いてみる。
そもそも、この作品の主人公は誰なのかと。アナキン?ルーク?ハン・ソロ?オビワン?どれも正解のようであり、また違うような気がする。主軸の人物皆々がそうと言えないこともない。「ウォーズ=戦争」なのだから。だが、あえて仮定を築きたい。スターウォーズのどのエピソードでも物語のど真ん中にすえられているものがあるだろう。「フォース」だ。
フォースはジェダイやシスのみならず、多くの人々(特に反乱同盟軍)に信奉されていた。「May The Force Be With You(フォースと共に在れ)」という言葉は劇中のさまざまな場所でよく使われているが、これは明らかに「Good bye」の語源「May God Be With You」からもじったものだろう。すなわち、フォースはあらゆるものを包み込む「神」としての役割を与えられていたのではないだろうか。この見方から、少し作品を見てみたい。
フォースとはいったいいかなるものなのか。エネルギーであり観念であるそれは、作品を見てみると、ジェダイやシスにかなり便利なものとして扱われている。物をぶん投げたり、未来予測したりと。あーあ。まあ、いかなる世でも神なんてそんなものだけど。しかし、きちんとウエイトを置いて信奉もされているわけで。ならば、どのような役割を担わされているのか。二通り考えてみる。
ひとつは「力の神」としてのフォースだ。手がかりはシス。シスはフォースの暗黒面に堕ちたわけであり、フォースが正しい面だけを持つのではないというのは伺える。正義であれ悪であれ、能力さえあれば操れ、それどころか一般的に言って暗黒面の方が強力でさえある。人間感情を映し出したような設定だが、だからこそそこには身勝手さが伺える。資格ある者にはわけ隔てなく力を与えるのだ。自らの欲望にとらわれてフォースを使い、人々(フォースを信奉する人だっているだろう)が蹂躙されてもお構いなしなのだ。見事に力の神のようではないだろうか。
さて、二通りと言ったからにはもうひとつ。力の神ときたら「愛の神」だ。シスは暗黒面に堕ちたわけだが、そんな彼らでもフォースはまだ使えている。それどころか、その力を使って自身の勝手な欲望を満たそうとしている。だが、そんな彼らをもフォースは見守っていたという言い方はできないだろうか。たとえ好ましくない行いをしても、倫理や正しいあり方から外れても、それでも決して見放さない。自らの暗黒面に堕ちた人々を手放さない。そういった「愛」とも呼ぶべき寛容さや包容力が、そこにはあるのではないだろうか。
しかし、残念ながら暗黒面から光明面に復帰した者は、劇中には出てきていない。といっても、ベイダー、シディアス、ドゥークー、モールの3人しかいないわけだが。「えー、アナキンは?」そんな声が聞こえてきそうだ。もちろん後二人は例外として、アナキン、つまりベイダー卿は最終局面においてジェダイに戻ったのではないかとの意見が出てくるだろう。彼が予言どおり、シスを終わらせることにより、フォースにバランスをもたらしたのは確かだ。しかし、最後に銀河皇帝を討ったベイダー卿のあり方はジェダイであったのかと、そこが問題なのだ。あのときの彼は、「銀河系の自由と正義の守護者」として、銀河皇帝を殺したのか。断じて違う。あのときの彼にあったのは、息子ルークに対する愛だ。いわば、個人的な感情によりなした行為なのだ。個人の感情で動くことは、ジェダイのあり方ではない。ジェダイとはより洗練されたものなのではないだろうか。
待て。自分の論に違和感を覚えた。フォースを愛の神として定義するならば、ベイダー卿が最後に示したルークへの「愛」は、まさにフォースの光明面への信奉そのものなのではないか。だとしたら、そのあり方はジェダイ?いや。こうして考えてみると、ジェダイが守るべき道義とフォースの光明面が示すものの相違に気づく。しかしそれも、隣人愛と親子愛という、別種の「愛」を取り違えたことにより生まれた相違だということは言うまでもないが。
さて。フォースが神としての役割を担っているかどうかは、おそらく是だろう。しかし、そんな象徴云々を抜きにしても、この作品はやはり面白い。何度見ても引きつけられていく魅力があるのだ。それに関しては既に語り尽くされているだろうから、あえて提起はしない。ただ、私が感じることを率直に書くならば、この作品は綿密な設定によって世界そのものを構築している、映画という枠を既に超えつつあるものなのではないかと感じるのだ。そこで、アナキンやルークが生き、苦悩し、成長し、戦う。そこには物語としての伏線があるけれども、そのありのままを「面白い」と思うのは、やはり自然なことなのではないだろうか。(坪田)