名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

ノロイ


 (最近完全にホラー映画ジャンキーになって頭のネジがゆるゆるなので突発的にレビューをアップすることにしました。別に継続的に担当するわけではないので来週にはまた柴田君が素晴らしいレビューを披露してくれることでしょう)


 「ノロイ」は白石晃士監督・脚本のホラー映画である。フェイク・ドキュメンタリーを手法を用いて日本古来の祭祀に残る「呪い」の恐怖を描いた作品であり、サークル内では不動の人気を誇る大傑作ネタ満載映画でもある。ウェブ上の紹介文などで「日本版ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という文言がよく見受けられるが、本作に直接的な影響を与えているのは「ブレア・ウィッチ」ではなく「ほんとにあった! 呪いのビデオ」シリーズ(以下「ほん呪」)であろう。たとえば、随所で挟まるインタビューシーンや心霊映像を映し出す際のスローモーション、リプレイの多用などは明らかに「ほん呪」そのものであり、事実、白石監督は「ほん呪」の制作に携わっていた経歴を持つ。
 そういった意味で、本作は非常に「非映画的」(あるいは「テレビ的」)要素の強いシーンが多い。ドキュメンタリーの一部として、テレビ番組をそのまま放送する(という設定の)シーンさえ登場する。劇中劇的なものとしてテレビ番組のシーンが映画内で展開されること自体は珍しくない。しかし本作の場合、そのシーンの映画全体に占める割合が非常に大きく、完成度も高い。番組の出演者に俳優ではなくあえて本物のタレントや芸人を起用することで、作中世界と現実世界をリンクさせ、映画としてのリアリティを高めているのである。
 フェイク・ドキュメンタリーの常として、本作も手持ちカメラでのPOV(主観視点)を用いている。POVの特性としては、画面の揺れや狭窄的な視野によって増幅される緊張感、不安感が真っ先に挙げられる。これを「ブレア・ウィッチ」的な効果と位置付けるとすれば、本作の終盤においてもそれは存分に発揮されている。カメラを左右にパンしてショックシーンを見せる手法などは、POVをうまく活かしていると感じる。しかし、静止画的・安定的なカメラワーク=「ほん呪」的なPOVこそ本作の真骨頂であろう。あざとさのない淡々とした画面の中で展開されることで、事態の異常性はより際立っていく。
 私がこの映画で最も評価する点は、既存のホラー映画的「作法」を極力排除していることだ。「作法」とは何か。たとえば、登場人物の前に扉がある。観客は、カメラワークやBGMやこれまでのストーリー展開からこの扉の向こうに恐怖の対象となる何者か(幽霊、モンスター、殺人鬼など)が存在することを暗示されている。そして、主人公はおそるおそるその扉を開けようとする。だがほとんどの場合、扉を開けてもそこには何も存在しない。登場人物は(そして観客は)ほっ、と安心するが、その直後、背後からその何者かが突然出現、などというシーンはホラー映画を観ていれば必ずと言っていいほど遭遇する場面だ。ホラー映画において作り手が観客に与えようとする「恐怖」は、多かれ少なかれこういった「作法」によって固定化されてしまっている。一方で本作は、観客を驚かせるようなショックシーンはほとんどない。それでもなお追求されているのは「恐怖」だ。「呪い」というモチーフの潜在性・陰湿性と上手くマッチさせながら、即物的な血しぶきや残酷シーンに頼ることない「恐怖」を観客に提示している。だからこそ本作は、いい意味で「非映画的」なのである。
 強烈なキャラクターに目がいきがちな本作だが、モンド映画的な即物性にとどまらない魅力を私はこの映画に感じた。
(スダレマン)