名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

京都SFフェスティバル2015レポートその2

11/12(土)から11/13(日)にかけて行われた京都SFフェスティバルに現役部員3人で行ってきましたので、詠君に引き続き、今更ながらそれについてのレポートでもつらつらと書いていこうかと思います。

言い出しっぺなので色々説明します。
例年だと、メモを取っていた一人が各企画についてまとめて1本のレポートを書き上げる、というような形式をとっていました。けれど、詠君も言っていたように、今年は役割分担をしてメモを取ったので、いっそのことレポートも各人がメモを取った本会企画とか参加した合宿企画とかを思い思いに語って、それぞれのレポートを読んでいくと何となく全体像がつかめるといった感じのリレー形式もアリなんじゃね? 面白いんじゃね? というふうに思ったので、そういう形式を先輩権限で採用することにしました。まあ、ただ単に三人そろってなんかメモの内容を確認し合ってすり合わせとかをするのがひどくめんどくさく思えたので別にそれぞれに記事書いてけばいいじゃんとかそう思っただけの話に過ぎないんですけども。
それではレポートを始めていきます。

やくしまるえつこ×円城塔 朗読小説『タンパク質みたいに』

・機械に助けてもらって小説を書こう、機械文芸部

円城塔さんによる本会企画その2。『シャッフル航法』収録の「シャッフル航法」、「φ」、それから今年の京フェスのために書き下ろされた最新作、「タンパク質みたいに」はコンピュータによるプログラミングを用いて執筆したものということなので、どのようなプログラムを用いてどのように作品を執筆していったのかが語られました。それとともに、相対性理論やくしまるえつこさんによる『タンパク質みたいに』の朗読音源が初お披露目されるという豪華2本立て。
そもそも今回の執筆依頼を受けた時点で、書き下ろされた作品がやくしまるえつこさんによって朗読されることが決まっていたということに何より驚いた円城さん。聞いてるこっちが一番驚きました。本人は、僕とは全く関係ないから企画の意味がわからなかった的なことを言ってましたが、あれじゃないですかね、スペースダンディ的なつながりとかを京大さんに意識されたんじゃないんですかね。知らないけど。
そうして執筆を開始した円城さん。最初に抱いた目的は、「読みにくいものを作ってやるぞ!」ということだったようです。そんなこんなで出来上がったのが、ジオメトリ処理によってトーラスを形成して(執筆者的にこの辺の表現は?しか浮かんでいないので間違っていても悪しからず)、タンパク質的にテキストを8の字に複数走らせた作品でありました。
会場で配られたテキストとかを画像としてあげれば一番わかりやすいんですけど、著作権の問題とかが怖いのでとりあえずやめておきます。
で、肝心のやくしまるさんの朗読ですが、それはもうすごかったのです。あの独特のウィスパーヴォイスでもって、紙面上ではトーラス状にいくつも走らされている複数のテキストが重ね合わされるように読み上げられていくのです。テキストが重奏しているのです。そんでもって作品は「わたし」とか「あなた」という表現からなる自己言及的なものでしたので、それはもう自意識の迷宮にでも迷い込んだかのようだったのです(錯乱)。
今回のやくしまるさんの音源について、当日会場にいた編集を担当した方からは、ブレスをなくして機械音声的に聞こえるよう演出が試みられている、ということなどが制作の裏話として語られました。
そして円城さんの話に戻るわけなのですが、この音源を聴いたのは今日が初めてだったというご本人。どうにもいろいろ衝撃的だったご様子で、始終会場の前の方を落ち着きなくウロウロしながら、タオルで幾度も汗を拭いてらっしゃいました。晩秋なのに。半袖だったのに。それから、「φ」を執筆してた時はクワイン小説を考えていたということだとか、カオスとかシャッフルを用いて書いた詩を現代詩手帖に寄稿した話とか、興味深そうな話が次から次へ展開されてはいたのですが、プログラミング、というか理系分野、パソコン関係に対して門外漢な僕にとっては何を言っているのか全くわからない話でした。レポできません。本当にすみません。僕はただやくしまるえつこさんの朗読すげーとか言って惚けてるだけでした。まあ、隣のやつも「これは催眠音源だ!」とか言って途中で寝落ちてたので、あんま理解はしてないだろうな、とは思いますけれども。
ただ、円城さんの結論は、プログラミングなんかに頼るよりも普通に小説書いた方がよっぽど楽、ということのようです。3回くらい言っていたのでそれだけは間違いなさそうです。
円城さん曰く、この企画で使ったスライドは後でネットにあげるからスライドちゃんと見たい人はそれを見て(2015年12月12日現在未確認)、とのことでした。わかる人はそれ見たらわかるから、ということだそうです。もしその辺のプログラミング関係のことが気になる方は、円城先生があげてくれるというスライド見て理解してもらえると幸いです。
それと、やくしまるえつこさんによる『タンパク質みたいに』の朗読音源も、「みらいレコーズオフィシャル・サイト等でハイレゾ配信することも予定されている」そうです。楽しみに待ちましょう。(http://skream.jp/news/2015/11/yakushimaru_kyoto-sf-fes.php

合宿企画

・ディーラーズ

クトゥルフ会報とか異色作家会報を持って行きました。クトゥルフ会報をそこそこ買っていただけたのでクトゥルフってやっぱつえーんだなーと思った次第であります。お買い求めくださった皆様、ありがとうございました。
個人的には京大さんの舞城会報を購入しました。『阿修羅ガール』のレビューとかが面白くて、久しぶりに舞城読むか、って気に少しなりました。

・若者部屋

一コマ目は例年通り若者部屋に行ってました。今年は大学生がうちと京大さんくらいしかいなかったのでこじんまりとしたものでしたが、割と楽しくお話しすることができました。ありがとうございました。それは次のコマでやるんだって話なのに劇場版ハーモニーの愚痴がほんのちょっとみんなから漏れ出てたのはいい思い出。白石の話して京大の人を半分くらいいなくならせたうちの後輩はマジ反省しろ。

・御冷ミァハの大嘘、あるいは伊藤計劃「ハーモニー」読書会

二コマ目は、「名古屋SFシンポジウム2015レポート」のコマそっちのけでこっちに参加してました。京大SF研OBのMAKKIさんによるハーモニー部屋。MAKKIさんの、ハーモニーのLINEスタンプを買ってしまったはいいけれどクソすぎて殺意がわいたという話から、あの伝説のコミック百合姫版ハーモニーはどこへいってしまったのん? という話まで。大変面白かったです。真面目な話だと、世界にwatchmeをインストールしてない民族はそもそもいるわけだし、何よりwatchmeって15歳になるまで作用しないわけだから全人類が意識を失うっていうのは違うよね、って話とか、信頼できない語り手の話とか。一番印象に残っているのは、映画では完全にガチ百合化してたわけだけども、あれって少女小説的な関係性がそもそもにあって、その関係性っていうのは依存から自立へ至るまでの少女たちの、まさに作中にある通りの「同志」としての関係を描くものであるわけなんだけど、それを「百合」というもので置き換えて表現していいの?っていう話ですかね。
その他、映像化に際してのわかりやすいエンタメ要素の付加として、今回は百合があったわけだけれども、『屍者の帝国』映画版のあのワトソンとフライデーの友人関係にしても、原作において事態に巻き込まれるだけで決して主体的に動いてはいないワトソンを、主人公として主体的に動かすための改変だったんだろうね、という話とか。
個人的には、建築学科の人間としてハーモニーの都市描写とかは色々気になる部分がありまして、僕はまだ再読(熟読)できてなくて確認できてないんですけども、原作は真っ白いオフィスビル状の建物の立ち並ぶコルビュジェの輝く都市的都市像だったようなのですが、映像化に際して何故あんなフォスターのガーキン的というか、伊東豊雄とかを思い起こさせるような柔らかい有機的デザインになってたの?っていう話ですよね。今回のハーモニーの未来都市像は、アニメータさんとかが単独でつくりあげたものではなくて、東大教授も務めた内藤廣という現代日本の一級の建築家が原案協力として入っているわけで、一建築学生として考察したい部分は色々とあるのですね。現代日本建築の最前線にああいう有機的デザインを持ち味とする建築家が多数いるのは間違いないですが、内藤廣はそういうデザインを特徴とする建築家ではなく、見事な頭のキレによってその与件、その敷地に応ずる、本人呼ぶところの「素形」や「素景」といった、溶け込むような造形をつくりだす建築家なので、ハーモニーの一体どこに呼応してあのデザインを呼び起こしたのかは大変気になるところではあります。あれかな、子どもを守るためにグニャってなるジャングルジムのあたりからなのかな。
原案協力に何故内藤さんが入っているのかは、なんか東大時代の教え子にアニメータになった人がいて、その人から頼まれたから、だそうです(名大での講演会での本人談より)。
途中から自語りに変わってしまいましたが、コマ自体は、色々文句を言いたい部分はあるけれど、都市の描写等々あの作品がビジュアル化されたということには割と意味はあったんじゃないか、ということで話はまとまりました。

・京都・深夜の創作談義 虎の穴編

三コマ目は創作部屋に行ってきました。京大SF研の現役回生・OBの作品を、大森望さんと東京創元社小浜徹也さん他評論家や編集者の方々が講評する企画。
その時講評された作品はこちら。
・東山花鏡『アイリス・フランセスカの巡礼』
・夏目之猫『雲の上には』
・空舟千帆『発火』
・呉衣悠介『21センチュリー・ニュー・プロジェクト・フィラデルフィア
・栗山陸『猫と仮面のゲーム』
京都SFフェスティバル2015のwebサイトから読めるようになっているので是非。http://kyofes.kusfa.jp/cgibin/Kyo_fes/wiki.cgi?page=%B9%E7%BD%C9%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6#p11 )
なんでも、『アイリス・フランセスカの巡礼』執筆者の東山花鏡さんがゲンロンで大森望さんに原稿を読んでもらうことをお願いしたのが企画の発端なんだとか。 
執筆者さん、講評者さんともに多種多様なところが大変面白かったです。東山さんが熱く自作への思いを語れば、呉さんが、「あの、これ艦これトリビュートに出したやつなんですけど……」と言ってちょっと申し訳なさそうに説明をする。「どうやって講評されたいの? ただの趣味のものとしてなのか、売れるもの売れないものという視点なのか?」という言葉で辛口講評の口火が切られたかと思えば、どこか愛を感じさせるような口ぶりで執筆者に激励の言葉が送られている。でも小浜さんの、「俺パロディダメなんだよ」的な言葉は、全然そんな雰囲気ではなかったのですが思わず笑いそうになってしまいました。
講評者さんたちの方もそれぞれでお好きな作品が違っていて、そのために講評者同士で意見を戦わせるなんて場面もしばしば見られました。
一番印象に残ったのは、「読者を育てなきゃいけないよ」という言葉。印象に残った割にあんまどんな文脈で語られた言葉なのかを覚えていないのですが、要は友人のものを読むとき友人だからといって作者の気持ちを汲んであげてはいけないよ、ということも含まれてる話。でもその言葉を聞いて、ちゃんとした読者でいよう、と思わず襟を正したくなったことは覚えています。割と深夜付近だったので眠かったのですね。
あと何が驚いたって執筆者の中に十代の人がいたことですよ。自分も数年前までは十代だったはずなのに、なんなんでしょうね、このすんごく遠いもののように感じられる気持ちは。

・三コマ目以降

三コマ目が終わってから朝までは適当に麻雀とかボドゲとかして例年通り夜を明かそうかな、と思っていたのですが、麻雀部屋にいったら卓が空いておらず、待ってる間仮眠でもするか、と思って寝て起きたら朝、っていう感じでしたまる。


僕の分のレポートはだいたいこんなもんですかね。個人的には全体を通してやっぱりいつも通りの面白さだったので、来年もぜひ参加したいと思っております。
今回一番印象深かったことは、はじめてちゃんと「寝た」ことですかね。参加した去年、一昨年といつも本ラノの選考会上に乗り込んで、終わったらそのままボドゲとかして徹夜していたので。そんなだから朝はだいたいゾンビのような体で閉会の挨拶とかを聞くことになって、記憶がほとんどなくなってるわけだったのですが、今年はバッチリ7時間睡眠をキメてスッキリの状態で見事閉会を迎えられたわけであります。ハイ。はじめてちゃんと閉会の挨拶とかを聞いた気がします。
朝起きたら隣に大森望先生らしき人が寝ていて、何が何だかよくわからない顔をしてしまったというのはまた別の話。
今年は本ラノなかったのですのよね、担当者の方とかがいなくなってしまったのかしら。やってたら参加してた企画ではあったので、ちょっと気になるところではあります。

今年は合宿において当SF研OBの片桐翔造さん主導で、「名古屋SFシンポジウム2015レポート」の企画や、ブラックユーモアな作風で知られ、オー・ヘンリーと並び称される短編の名手、サキを語る「サキの部屋」が催されたりしたのですが、ぶっちぎって他の企画に参加していた私です。でも、その辺の企画にはきちんと後輩君たちが顔を出してくれていたのでホッとしております。ありがとね、後輩君たち。

つらつらと拙い文を書き連ねてしまいましたが、いい加減終わりにしようと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。
最後に、京大SF・幻想文学研究会の皆様、企画の運営、本当にお疲れさまでした。楽しいイベントをありがとうございました。また来年もぜひ参加させていただきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

以上。後輩君、あとはまかせた。(もりぃ)