名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

PSYCHE

PSYCHE (プシュケ) (スクウェア・エニックス・ノベルズ)

PSYCHE (プシュケ) (スクウェア・エニックス・ノベルズ)

美術部に籍を置いている高校生の佐方直之に、ある日事故で死んだはずの家族が見え始めるようになった。不満を持ちつつもなんとか順応して過ごしている彼に、やはて様々な幻覚が見え始めるようになって。
表題の読みは「プシュケ」である。「サイケ」ではない。ギリシア語読みなのであるが、ではどういう意味かと思って辞書を引くと、予想通りの「魂・心」の他に、ギリシア神話の神の名が記されていた。エロスに愛されアフロディーテに嫉妬された、蝶の翅を持つ女神「プシュケ」である。彼女の話は割愛するが、当然ここが由来となって現在の「PSYCHE」の意味が定義されているのは明らかである。
作者が相当の吟味を加えてこの表題をつけたことは想像に難くない。あるいは表題から派生した作品なのかもしれない。それほど、厳密な表題のつけられ方なのだ。ただの「サイケ」ではなく「プシュケ」と読ませるところからして、既にそれは見てとれるだろう。彼はその読み方でもって「PSYCHE」から「心」や「魂」や「サイケデリック」だけでなく、この作品のシンボルである「蝶」をも引っ張ってきた。いやはや、そこはとりあえずお見事と言っておくしかない。
さて、内容に入ろう。
この作品はいわゆる普通の青春小説でない。なにしろ「PSYCHE」である。サイケデリックな要素は多分に含んでいると考えて間違いない。冒頭の、ネタバレを避けるための極力簡素なあらすじでは伝わらないだろうが、主人公の見る幻覚というのは生半可なものではない。初めはよかった。ただ家族の幻覚とも霊ともつかないものが、家の中をうろついているだけだ。それが、いとこの「駿兄」がモルフォ蝶の一種の翅をお土産に持ってきたあたりからあやしくなってくる。どれが現実でどれが幻覚なのか、それすらもわからなくなるような規模になってしまうのだ。そして物語は、読み手の意識をかき混ぜるような、マトリョーシカ式の多層構造へと移り変わっていくのである。
また、主人公の冷静さにも注目したい。この作品では、主人公の身にかなりおかしなことが次々と起こる。それはたとえば死んだはずの家族が見え始めることだったり、道路の真ん中で死んでいた犬をなりゆきで処理することになったり。それは普通の人間だったら、顔をしかめたり、死ぬほど驚いたり、大げさに嫌がったりしてしかるべきことばかりなのである。それにも拘わらず、彼は決して動揺しない。いや、そういう描写は確かにある。だが、ひどく分析的で、それゆえにそれは読み手には伝わってこない。主人公の異質なまでの冷静さによって、読み手と主人公はどんどん切り離されていくのである。それによって、主体というよりはむしろ客体の視点でこの狂い始めた物語を味わうことになる。もっと引き込む文章を書けたはずだ。そうすれば、読み手は体の芯から震えるような恐怖をこの作品から感じ取れたはずだ。無論、作者にその力量がなかったと言ってしまえばそれまでである。しかし、あえてそれを見越してこのような文章を書いたのだとしたら、彼は恐るべき書き手だ。その現実と幻覚の区別がつかなくなっている人間を一枚のガラスで隔てることによって、このドロドロした作品をあくまで美しく見せようとしたのである。その成功如何にかかわらず、主人公が狂い溺れていくさまを見ろ、そしてその美しさに震えろ、と。そう伝えたいのではないだろうか。なにしろ、表題であれだけのことをかましてくれるような奴である。これくらいの暴挙はやりかねないではないか。まあ、明らかに考えすぎだろうが。それをわかった上で、考えすぎは作品考察において有益であることが多いので、あえて否定はしないでおく。ほとんどの名作は考えすぎから生まれたようなものであろう。
最後に、この作品が面白いのか面白くないのか。文章は前述のとおり、淡白な感じである。しかし、そこにいくばくかの美しさもしっかりと認められる。そして、マトリョーシカ式の物語のラストだが、これがまた何とでもとられるようにふんわりと締めくくってある。確かにどきっとする一文ではあったし、それはそれで引きの美しさというやつだが、こういう構成で作るのであれば、最後に一本完璧に筋の通った結末を用意すると、感嘆の溜息とともに「素晴らしい!」と叫ぶことができるのに、とは思う。とはいえ、作者が前述の美しさを体現したいと(万が一)意図していたのであれば、そんな構成の見事さは必要でないどころか、むしろない方がいい。雑味にしかならない。とはいえ、この作品が美しいのかと問われれば決してそんなことはなく、結局読後に残るのは、ドロドロした食感だけなのである。結論を言うなら、作者はこれまで長々と述べてきた「美化」に(そんなことを本当に意図していたのかどうかは全く知らないが)失敗している。文章やラストに美しさの片鱗は見えても、作品自体はあまり「美しく」はない。直観的にそう感じてしまうのだから、やはりそれはそうなのだろう。ただ、この作品は読んでみても悪くはない。面白いから読みなさい、とは言わないが、それでも何故か悪くはなかったという後味はある。時間の無駄にはならないと思う。と、読み手によっては非常に面白く感じられることもあるだろう。それはやっぱり個人の感性だ。あくまで私個人の感想を言うなら、まあまあ、というところだろうか。
この作者の、これからの活躍と醜さと狂気の美化への挑戦に幸あれ。

絶対、そこまで考えてないでしょうけどね。(坪田)