名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

10ドルだって大金だ(ジャック・リッチー)

10ドルだって大金だ (KAWADE MYSTERY)

10ドルだって大金だ (KAWADE MYSTERY)

短編集『クライム・マシン』で2006年度のこのミス海外部門一位に輝いたジャック・リッチー。本書も彼の魅力を余すところなく伝えるものとなっている。14の収録作は大きく二つ、つまりシリーズものかそうでないかに分けられる。
ジャック・リッチーは生涯で私立探偵カーデュラ、部長刑事ターンバックルという二人のシリーズ・キャラクターを創造したらしいが、本書で彼らが出てくるのは全部で六編あり、残りの八編は単発の短編だ。ここで注目したいのが、その八篇の多くが犯罪者視点で語られるいわゆる倒叙形式・犯人視点のものだということである。具体的に題名を挙げるなら、無一文の男が資産目当てに金持ちの令嬢と結婚しさらに保険金目当てに彼女を殺そうとたくらむ「妻を殺さば」、美術館を舞台にした詐欺もの「誰が貴婦人を手に入れたか」、悪いところなどないのに親戚によって精神病院に入れられた男が遠隔殺人を計画する「とっておきの場所」などだ。
八篇のうち倒叙でない短編にしても、つくりが普通のミステリと比べ少し異なっていることは否定できない。つまり簡単にいうと、犯罪者たちは彼の作品において必ずしも断罪されないのだ。むしろ追及を上手くかわした地点や“仕事”を上手く終えた地点で物語は終了し、そこがそのままオチの利いた結末となっている。部長刑事ターンバックルの出てくるいくつかの短編でもそれは同様で、いかにもミステリ中の探偵であるかのような彼の推理が、その実まちがいだと判明するパターンがよく用いられている(折原一の黒星警部と似ているが、さすがにそれは失礼だろう。ターンバックルの場合、きちんと真相を看破した名推理を披露したこともあるからだ)。
というわけでオチの爽快さに心血注がれた作品たちであるが、それゆえにそれだけである。いわゆるブンガク的に評価できそうなものは逃亡した強盗がスーパーの倉庫に逃げ込む「世界の片隅で」ぐらいだろう。だがそもそもほとんどの作品で、その種のテイストは余分なものとして削ぎ落とされているのだ。
犯人視点でかつ爽快感もある娯楽作品、という奇妙な短編が数多く収められている。一文で本書を表すとそうなるだろう。(片桐)