名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

死霊たちの宴<下>(ロバート・R・マキャモン他)

死霊たちの宴〈下〉 (創元推理文庫)

死霊たちの宴〈下〉 (創元推理文庫)

下巻は7作。上巻9作に比べ作品数が少なく、そのため一作の量が増えており読むのに少々疲れた。面白いと言えない作品もいくつか。
しかし全体的なレベルの高さは相変わらず。

「がっちり食べまショー」ブライアン・キング

陰気で不発気味な前二作を一気に消し飛ばす問題作。多分このアンソロジーの中で、この作品が最も胸糞悪いだろう。タイトルはつまりゾンビによる娯楽番組のことであり、この時点で他のゾンビものとは一線を画する。
生者である司会者が、ゾンビたちの中でゾンビたちのために生きることに対して抱く大いなる葛藤を描いた作品。

「キャデラック砂漠の奥地にて、死体と戯れるの記」ジョー・R・ランズディール

「イエス‐ランド」ってどうなんだろう。冒涜にもほどがあるんじゃないかとハラハラする。
下巻にはこの作品を始め、ゾンビを扱う人間の作品が多い。この場合、恐怖の対象がゾンビでなく人間になってしまうことがあり(だってゾンビより人間のほうが大抵は強いのだから)、これはゾンビものとしては失敗である。この作品はしかし、確かに全然ゾンビゾンビしていないものの、普通にSFとして面白いと思った。というかSFである。結局敵対する相手はマッドサイエンティストなのだから。
あと序盤のゾンビを売り飛ばして使うってのはなかなか思い切った外道さ。普通の人道的感覚じゃ思いつかないだろう。素晴らしい。
このような終末的世界では、牛とファックする様なことも普通になるのだろうか。ならないことを願うが。

サクソフォン」ニコラス・ロイル

ゾンビが人として割と普通に生活している作品。上巻の「唄え」や「始末屋」、「がっちり」にもゾンビは知能を持っており、生前の如く生活しているのだが、この作品は生者と別にゾンビはゾンビで社会を形成している点が少々珍しい。
ゾンビ社会で生きる一人のゾンビ(矛盾しているが)を描いている。オーソドックスな作品だと思っていたら、意外なことに結末に驚かされた。

「聖ジュリー教団VSウォームボーイ」デイヴィッド・J・ショウ

「がっちり」の次に胸糞悪い。あの作品はまだ葛藤があったが、こちらは真の鬼畜変態である。ゾンビとセックスという発想もないと思うが、ゾンビを食うという発想はもっとあり得ない。だってゾンビの恐怖は人を食うことにあるというのに、人がゾンビを食ったらそこのところどうなってしまうのだ。
結果こうなる。完全に予想外であることは違いないが、ある意味納得ともいえる結末である。

「わたしを食べて」ロバート・R・マキャモン

エロいですね。
下巻の締めも名作である。上巻と合わせて評価するならば、この作品は二番目に面白い。まさしくトリにはふさわしいだろう。
驚くのが、これが愛の物語であるということだ。ゾンビのくせに。グロテクスであるものの、決して気分の悪いものではなく、むしろ感動的純愛である。これまでの作品の登場人物が、ほとんど全員誰彼かまわずセックスしようとするろくでなしだったため、奥手の二人が可愛らしい。
ゾンビだからこそ描ける愛もあるのだねぇ。
(條電)