名大SF研記録ブログ

名古屋大学SF・ミステリ・幻想小説研究会

この世界からは出ていくけれど (キム・チョヨプ)

人より何十倍も遅い時間の中で生きる姉への苛立ちを抑えられない妹の葛藤を描く「キャビン方程式」、幻肢に悩まされ三本目の腕の移植を望む恋人を理解したい男の旅路を追う「ローラ」――社会の多数派とそうなれない者とが、理解と共存を試みる人生の選択7篇

 二年前にチャン・ガンミョンの『極めて私的な超能力』を読んで感動して、その年の『SFが読みたい!』のランキングにも「これから韓国SFの時代が来る」と書いた。しかしそれ以降、短編集などで韓国人作家が書いた小説を読むことはあったが、そこまで韓国SFを読んだわけではないし、韓国SFブームも来なかった。だが、緩やかではあるが着実に韓国SFというジャンルは日本のSF界に浸透しているだろう。
 今回レビューする『この世界からは出ていくけれど』は韓国の女性作家キム・チョヨプが書いた短編集である。登場人物の多くは(おそらく)一般の人間と変わらない姿かたちをしている。しかし、物語の核を担う人物は、それぞれ他の人とは異なる視点で世界を見ている。「マリのダンス」では、視覚に障害を持つ少女、「ローラ」では、無いはずの三本目の腕を認識する女性、「認知空間」では独自の知識体系を確立した世界からはみ出してしまった少女、といったように。これらの短編の主人公たちは(世界を見る目に関しては)いたって普通の人間で、そのため作中では彼らとの世界の捉え方に対する違いがはっきりと浮かび上がってくる。彼らは社会にうまく馴染むことができないが、それでも他者への理解と共存を望む。
 翻訳文が少し堅すぎるきらいはあるが、手軽で読みやすいのでSF初心者にもいいだろう。(肇)